大判例

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大阪高等裁判所 昭和48年(行コ)3号 判決

控訴人(附帯控訴人)

兵庫県知事

坂井時忠

右指定代理人

伴喬之輔

外九名

被控訴人(附帯控訴人)

堀木文子こと

堀木フミ子

右訴訟代理人

井藤誉志雄

外三六名

主文

一、原判決主文第一項を取消す。右取消にかゝる被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。

二、被控訴人(附帯控訴人)の本件附帯控訴を棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一、控訴人(附帯被控訴人)(以下「控訴人」という。)

1  控訴につき

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人(附帯控訴人)(以下「被控訴人」という。)の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

2  附帯控訴につき

本件附帯控訴を棄却する。

附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

1  控訴につき

(一)  本件控訴を却下する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

(二)  本案について

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

2  附帯控訴につき

原判決中被控訴人敗訴部分を取消す。

控訴人は被控訴人が昭和四五年三月から同年八月までは一カ月金二、一〇〇円、同年九月からは一カ月金二、六〇〇円の各割合による児童扶養手当の受給資格を有する旨の認定をしなければならない。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

第二、当事者の主張及び立証

当事者双方の主張及び立証の関係は次に付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。(但し原判決三枚目裏一一行目から一二行目の「第二項」、同四枚目裏五行目、同五枚目表四行目の「各第二項」を削る。)

一、控訴人は、当審において、別紙(一)「控訴人の主張」のように、被控訴人は、当審において同(二)「被控訴人の主張」のように各主張した。〈後略〉

理由

第一本件控訴の適否について。

一被控訴人は、「本件控訴は、控訴人の真意に基づかないものであるから不適法である。」旨主張し、その理由とするところは、「控訴人は、原判決は正当であるから控訴すべきではない旨再三にわたり、公に表明していること、仮りに控訴人が最終的には控訴の意思をもつていたとしても、それは控訴人において、国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律を誤解し、法務大臣の控訴指示を適法と信じた結果、これに従つてなした控訴で、錯誤に基づくものである。」というのである。

しかしながら、訴訟行為は民事(行政事件を含む)訴訟手続において裁判所に向けてなされる公法的な行為であるから、手続の安定を尊重し、明確を期する必要上、私法行為と異なり表示主義、外観主義が貫徹され、特別な場合(例えば民訴法第四二〇条第一項第五号参照)を除いては、その行為について錯誤、虚偽表示、詐欺強迫等のあつたことによつて効力が影響されない(管轄の合意のように訴訟外でなされるものは格別)。したがつて又当事者が外形上訴訟行為として表示をする以上、行為当時内心どんな意思に基づいてこれをしたか、その真意がどうであつたかを問う必要はなく、専ら当事者の表示を標準としてその効力を判定すべきものと解するのが相当である。そして、本件において、昭和四七年一〇月一一日控訴人が原判決に対し控訴する旨記載した控訴状を当裁判所に提出していることは記録上明白なことであり、控訴の提起という表示行為が控訴人によりなされている以上たとえ控訴人知事が事前に裁判外で控訴しないことが適当と思われるとの意見を公表していたとしても、また、最終的には法務大臣の指揮に従つて本件控訴を提起するに至つたとしても(なお、都道府県知事は本件のような国の機関委任事務についての行政訴訟については、いわゆる権限法第六条第一項、第五条第一項により法務大臣の指揮を受ける立場にあるので、知事において、法律の解釈を誤り錯誤によつで、本件控訴をしたと解する余地はない。)本件控訴の効力に消長を来すものでなく、被控訴人の所論は採用できない。

二被控訴人は、また「本件控訴は控訴の利益を欠くから不適法である。」旨主張し、その理由とするところは、「控訴人は、原判決後、その趣旨に賛同し、みずから障害(老齢)福祉年金と児童扶養手当との併給を実質的に認める児童養育見舞金支給要綱を定めるなどし、更に立法府においても、原判決の判断を正当として、昭和四八年九月二六日右併給を認める法改正を行い、改正法は同年一〇月一日より施行されている。したがつて本件控訴は、本件係争の併給禁止条項が制度全体としては既に問題が解決済であるのに、ひとり被控訴人の児童扶養手当の受給資格のみを争うためになされたものであるから、最早や控訴をしてまで、争う実質上の利益はない。」というのである。

しかしながら、控訴の利益の存否は第一審判決が控訴人に不利益か否かによりきまるのであり、不利益か否かは既判力を生じる判決主文を基準として判断すべきである。これを本件についてみるに、被控訴人の控訴人に対する本訴請求中本件児童扶養手当認定請求却下処分の取消請求部分が第一審判決において認容され、控訴人が敗訴した以上、この判決に対し控訴人は控訴の利益を有すること明らかである。判決理由中に判断された法令の違憲の存否は、本件控訴が理由あるか否かに関することであり控訴の利益とは関係がない。以上のとおり控訴の利益の存否は形式的にこれをとらえるべきであるから、これに反する被控訴人の所論は採用できない。

ちなみに所論、控訴人が原判決後、児童養育見舞金支給要綱を制定したといつても、〈証拠〉を総合すれば、右は兵庫県が独自の立場で県会の承認を得て知事が「昭和四七年度兵庫県児童養育見舞金支給要綱」を制定したものであり、それは「国民年金法に基づく障害福祉年金を現に受給しているため、児童扶養手当法に基づく児童扶養手当が支給されないものに対し、兵庫県児童養育見舞金を支給すること」をきめたものであり、本件併給禁止条項の存在を前提として、「他の法令等によりこれに替るべき措置が講ぜられるまでの暫定措置」とされたものであるから、その制定は本件控訴理由の当否についても無関係といわねばならない。また所論法改正が行われたとしても、右改正は、昭和四八年一〇月一日より施行されたもので、遡及効が認められているわけでないから、これがため右改正前の本件併給禁止条項が問題となつている本件控訴理由の当否について影響を及ぼすものでもない。

三被控訴人は、更に「本件控訴は、控訴権の濫用である。」旨主張し、その理由とするところは、「本件控訴は、児童扶養手当と障害福祉年金の併給を禁止した前記改正前の条項が、原判決によつて違憲であると判断されたため、国において控訴をさせたものであつて、本件控訴によつて求めるところは違憲の判断を受けたという司法機関に対する形式的な面子以外のなにものでもない。控訴提起とうらはらに控訴提起後、国会が右併給の正当性と必要性を認めて法改正が行われたので、本件控訴は国会の意思とも矛盾するし、また下級裁判所の軽視と相俟つて、司法の違憲審査制度、ひいては三権分立の制度に反する。単なる面子のために判決の確定を妨げることは、貧困と差別に耐え、救済を求めている被控訴人に対する人権侵害行為である。」というのである。

しかしながら、控訴権は第一審で一部又は全部敗訴した当事者が当然にもつ権利(控訴裁判所に対し不服申立することの出来る訴訟上の権利)である。したがつて、たとえ第一審の裁判に瑕疵があつても当事者の上訴権の行使がなければ上訴審は開かれないし、当事者の申立が裁判によつて全部認容されておれば、裁判の瑕疵にかかわらず原則としてその当事者に上訴権は認められない。現行法は形式的不服の存在を上訴の要件とし、これある限り、敗訴当事者には当然の権利として上訴権を認めている。

そして控訴権の濫用とは、観念的にいえば、控訴権者が控訴の本来の目的である原判決の誤謬の訂正による権利の防衛のためでなく、原裁判の正当なこと、従つてまた控訴の理由ないことを認識しているにかゝわらず(主観的要件)、控訴の確定力遮断効を利用し、訴訟引延し、又はこれに類する結果を意図して控訴権を行使することである。このような濫控訴を防止する直接的な対策(これを不適法として却下する如き)は現行法のもとでは考えられない。けだし濫控訴が主観的要件によるため控訴提起の当初、これを判定することは実際上不可能といつていい。控訴審の審理過程をとおして控訴棄却の結論に達したとき右主観的要件の充足があつたとみることが出来る場合があるにすぎないからである。ただこの防止対策として間接な方法であるが、現行法は金銭による制裁(民訴法第三八四条の二)を規定しているに留まる。

右のとおり、たとえ控訴権の濫用があつたとみられる場合でも、控訴を不適法としてその却下を求めることはできないから、これと異なる見地に立つ被控訴人の所論は採用できない。

のみならず、第一審で一部敗訴の判決を受けた控訴人に対し、法務大臣が「国会で制定された法律が違憲と判断されたことは重大な問題で、一審限りで判決を確定させることは相当でなく上級審の判断を仰ぐ必要がある。」として本件控訴を指示し、右指示に従つて本件控訴権の行使がなされたとしても、それは控訴人が審級制を活用し、控訴により原判決の取消変更を求めたにすぎず、これを目し控訴権の濫用とはいえず、又右指示に従つた本件控訴の目的が司法機関に対する形式的面子以外にないともいえない。また所論法の改正が行なわれたことも、本件控訴理由の存否にかかわりないこと前に説示したとおりであるから、これがため控訴権濫用の問題を生じる余地がなく、本件控訴が司法機関に対する形式的面子の維持だけの目的でなされたとはいえない。また本件控訴権の行使が司法による違憲審査、三権分立の制度にそいこそすれ、右法の改正によつてその点に影響を及ぼすものでないことも明らかである。なお、控訴人が他に何ら実質的利益がないのに、ただ訴訟完結を遅延せしめる目的のみを以て本件控訴を提起したと目すべき事由は見当らないから、本件控訴自体が、被控訴人に対する人権侵害となる余地もない。

第二本案について。

その一控訴(本件取消訴訟についての原判決の当否)関係。

一争いのない事実

被控訴人が国民年金法別表記載の一種一級に該当する視力障害者であり、国民年金法に基づく障害福祉年金を受給していること、昭和二三年三月六日離婚し、それ以来、二男堀木守(昭和三〇年五月一二日生)を養育してきたこと、被控訴人が昭和四五年二月二三日控訴人に対し、児童扶養手当の受給資格について認定請求をしたところ、控訴人は同年三月二三日付で右請求を却下する旨の処分をし、これに対し、被控訴人が同年五月一八日付で控訴人に対し異議申立をし、控訴人が同年六月九日付で、右異議申立を棄却する旨の裁決をしたこと、その裁決理由は、被控訴人が障害福祉年金を受給しているので、昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法第四条第三項第三号(以下「本件併給禁止条項」という)に該当するというものであつたこと、以上は当事者間に争いがない。

二本件併給禁止条項により、障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止することは憲法第一三条、第一四条第一項、第二五条に違反するか。

1  控訴人は、「裁判所が本件のような併給禁止ないしは調整条項を違憲であると判断することは、結局は新たな立法を行うことと同じ効果をもち、しかもその結果は当然国家予算の支出を伴うこととなるから、明らかに司法審査の限界を逸脱する。」旨の主張をする。

思うに、裁判所が違憲立法審査権をもつとはいつても、それは具体的訴訟事件において争訟の解決に必要な限りにおいて法令が憲法に違反するかどうかを判断することができるにすぎず、抽象的に法令の違憲審査をするものでない。本来司法権は受動的、消極的な機能を果たすにすぎず、国の政策形成を積極的に行うべきものではない。従つて違憲判決がなされたとしても、違憲とされた法令条項は対世的一般的に無効となつてしまうのではなく、その事件について無効なるが故にその適用を排除されたに留まる。違憲判決の効力は、右のとおり、当該事件および当事者を拘束するが、対世的にその法令が直ちに無効となるのではない。憲法は司法権が果たす抑制的機能としてはこれで十分としたものと解される。ただ立法府は違憲判決を尊重し、その法令を廃止、改正するであろうし、行政府はその執行を自制するであろう。これが又憲法の予期するところでもある。しかしながら、このような予期から生じる結果は違憲判決の直接の効果でなく間接的事実上の結果にすぎない。従つて、裁判所が本件のような併給禁止ないし調整条項を違憲無効であると判断したため、年金等の支給要件や、支給額について右条項による制限が除去されたのと同じ結果になるとしても、それは裁判所のもつ違憲立法審査権の行使がなされた当然の結果でなく、違憲判決の有する右間接的事実上の結果にすぎない。従つて、違憲判決により裁判所が積極的に国の政策を方向づける立法(法令の廃止、改正)を行うものではない。また裁判所の右違憲判断の結果、国家予算の支出を来たすことは必然的であるけれども、これまた裁判所の違憲立法審査権の行使がもたらす間接的事実的結果であり、裁判所が国会の権限(予算審議、決議権)や内閣の権限(予算作成、国会提出権)を侵すものではなく、司法権がその受動的、消極的な本来の役割の範囲を逸脱するものでもない。

以上のとおり、控訴人の主張するような理由をもつてしては、障害福祉年金と児童扶養手当の併給を禁止した本件併給禁止条項についての裁判所の違憲審査権を否定し去ることは出来ず、所論は採用の限りでない。

2  裁判所が、国民の直接選挙により選出された議員によつて構成された国会の審議の結果、多数者の賛同によつて定立された法律について、違憲無効と判断することは重大なことであるから、違憲立法審査権の行使に当つては、慎重でなければならず、殊に係争の法令条項が国民に対し権利、利益を賦与するようないわゆる給付行政に関するもので、立法府の立法裁量に属する事項に属するもの(一般に立法裁量事項につき、裁量内でなした立法については違憲問題は生じない。)である場合、これを違憲であると判断するがためには、立法府が恣意によるなどして、判断を著しく誤り、その裁量権を逸脱し、憲法に違反することが明白な場合でなければならない。

3  憲法第二五条と本件併給禁止条項

被控訴人は、わずかな額の障害福祉年金受給を理由に児童扶養手当を支給しないとすることは、身体障害者や母子家庭の生活実態に照らし、母と子の生存権を不当に侵害するもので、本件併給禁止条項は憲法第二五条に違反すると主張するので、以下この点について検討する。

(一) 憲法第二五条の解釈と社会保障

憲法第二五条第一項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定しているが、この規定は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運用すべきことを国の責務として宣言し、また、同条第二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定する。この規定は社会生活の推移に伴う積極主義の政治である社会的施策の拡充増強により、国民の社会生活水準の確保向上に努力すべき国の責務を宣言したものである。憲法第二五条の第一第二項を通じ、国はこれに対応して国民一般に対して概括的にかかる責務を負担し、これを国政上の任務としなければならないのであるけれども、個々の国民は、直接これにより、国に対し具体的、現実的な権利を有するものではない。国民の本条による具体的権利は、本条の規定の趣旨を実現するために制定される個々の法律によつて、はじめて与えられるのである。そして、本条第一項について、これをみれば、同項による国民の具体的な最低限度の生活保障請求権は同項の規定の趣旨を実現するために制定された生活保護法によつて、はじめて与えられているというべきである(生活保護法第一条、第三条、第四条、第八条、第九条参照、なお最高大法廷判昭和二三・九・二九刑集二巻一〇号一二三五頁、同昭和四二・五・二四民集二一巻五号一〇四三頁)。

被控訴人は、「本条をプログラム規定であると解する見解は、終戦直後の昭和二三年頃の困難な経済社会のもとにおいては通用しえたかも知れないが、今日においては通用しない論理であるとか、本条は裁判規範であるとか」の主張をする。

しかし、「健康で文化的な最低限度の生活」といつても、それは固定的なものではなく、確定的・不変的な概念でなく、抽象的な相対的概念であつて、その具体的な内容は、文化の発達、国民経済の進展に伴つて向上発展すべきもので、多数の不確定的要素を総合考量してはじめて決定しうるのであつて、その具体的内容は時と所によつてちがいうるものであり、憲法もこれを予定し、その基準の設定を固定化しているわけでないから、昭和二三年当時からみると、我が国の文化経済の発展にはめざましいものがあるからといつて本条が国の責務を規定したいわゆるプログラム規定であることを否定し、国民は直接本条によつて具体的現実的請求権を取得するものとは考えられない。もつとも右憲法の規定を国の責務を宣言したものと解しても、それがため憲法第二五条が裁判規範として機能することまでも否定するものではもちろんない。

以上のとおり、憲法第二五条第一項は国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運用すべき国の責務を宣言したものであり、又同条第二項は国民の社会生活水準の確保向上に努めるべき国の責務を宣言しているものであるが、同第二項に基づいて国の行う施策は、結果的には国民の健康で文化的な最低限度の生活保障に役立つているとしても、その施策がすべて国民の生存権確保を直接の目的とし、その施策単独で最低限度の生活の保障を実現するに足りるものでなければならないことが憲法上要求されているものとは解されない。むしろ憲法第二五条は、すべての生活部面についての社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進を図る諸施策の有機的な総合によつて国民に対し健康で文化的な最低限度の生活保障が行われることを予定しているものと考えられるのである。結局同条第二項により国の行う施策は、個々的に取りあげてみた場合には、国民の生活水準の相対的な向上に寄与するものであれば足り、特定の施策がそれのみによつて健康で文化的な最低限度という絶対的な生活水準を確保するに足りるものである必要はなく、要は、すべての施策を一体としてみた場合に、健康で文化的な最低限度の生活が保障される仕組みになつていれば、憲法第二五条の要請は満たされているというべきである。

本条第二項の趣旨が以上のようなものであるとすると、同項に基づいて国が行う個々の社会保障施策については、各々どのような目的を付し、どのような役割機能を分担させるかは立法政策の問題として、立法府の裁量に委ねられているものと解することができる。

また、本条第二項による国の責務の遂行には、当然に財政措置を伴うものであり、而も財政には制約があるから、国は国家財政、予算の配分との関連においてできる限り、社会生活水準の向上及び増進に努めればよく、それをもつて同条項の規定の趣旨に十分合致するものと解すべきである。

そうして、国が右のような努力を続けることによつて、国民の生活水準が相対的に向上すれば、国民の最低限度に満たない生活から脱却する者が多くなるか、それでもなお最低限度の生活を維持し得ない者もあることは否定することはできないので、この落ちこぼれた者に対し、国は更に本条第一項の「健康で文化的な最低生活の保障」という絶対的基準の確保を直接の目的とした施策をなすべき責務があるのである。すなわち、本条第二項は国の事前の積極的防貧施策をなすべき努力義務のあることを、同第一項は第二項の防貧施策の実施にも拘らず、なお落ちこぼれた者に対し、国は事後的、補足的且つ個別的な救貧施策をなすべき責務のあることを各宣言したものであると解することができる。

(二) 児童扶養手当制度の趣旨

次に児童扶養手当が憲法第二五条第一、第二項のいずれによる施策であるかを検討する。

(1) 社会保障制度

〈証拠〉によれば、憲法第二五条の以上のような趣旨をうけて、これを具体化するための社会保障制度としては、①主として、疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他生活困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担による方法においてなす防貧施策としての経済保障と、②生活困窮に陥つた者に対する国家扶助による健康で文化的な最低限度の生活を保障する救貧施策としての生活保障の二本建てから成るけれども、もともと我が国において「社会保障」ないし「社会保障制度」といつても、その趣旨は必ずしも定かではなく、通常は右二つの保障施策の外に、国がその向上を図らねばならないとされる③公衆衛生及び医療と④社会福祉の二部門をも含めた四部門を総称しているものであることが認められる。

(2) 生活保障(国家扶助)と経済保障(社会保険)

右二本建ての制度のうち、救貧施策である生活保障については、既述のように生活保護法による生活保護制度が憲法第二五条第一項の趣旨を直接実現する目的をもつて制定されているとみなければならない。そのことは生活保護法第一条に「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。」と定め、第三条に「この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。」と定めていることから明らかであるが、更には同法第四条第一項に「保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。」同第二項に「民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。」と各規定し、いわゆる保護の補足性の原則を定め、同法第八条第一項に「保護は、厚生大臣の定める基準により測定した要保護者の需要を基とし、そのうち、その者の金銭又は物品で満たすことのできない不足分を補う程度において行うものとする。」同第二項に「前項の基準は、要保護者の年齢別、性別、世帯構成別、所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情を考慮した最低限度の生活の需要を満たすに十分なものであつて、且つ、これをこえないものでなければならい。」と各規定し、保護の基準及び程度の原則を定め、又同法第九条は、「保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。」と規定し、いわゆる必要即応の原則を定めているが、これらの規定からすると、生活保護法に基づく生活保護制度は、現に窮乏の状態にある者に対し、その現在の生活需要に着目して健康で文化的な最低生活の保障を行おうとするものであつて、保障の実施は、窮乏の程度に応じて個別的、具体的になされ、具体的には、あらかじめ国が最低生活の基準を定めておき、所得がその水準に達しない者に対して、その不足分を金銭又は現物の給付によつて補うという建前が採られていることがわかる。このように生活保護法による生活保障は具体的、個別的救済を目的とするものであるため、その保障を行うに際しては、現に窮乏の状態にあるか否か、すなわち、自力では健康で文化的な最低限度の生活を営み得ないか否か、営み得ないとすれば右最低生活水準に達するにはどの程度の給付を必要とするか等に関する行政庁の認定を必要とし、その認定を行うため資産調査及び収入調査(ミーンズ・テスト)等の手段が講ぜられているのである。

而して生活保護法による生活保障制度が以上のように具体的、個別的な救貧施策であるということは、憲法第二五条第一項が「健康で文化的な最低限度の生活」を保障しているということからくる極めて必然的な結果である。

そうだとすると、逆に、右のような具体的、個別的な保障施策としての規定が存在しない法律によつて社会保障制度が設けられた場合それは憲法第二五条第一項に直接関係しない、同条第二項に基づく防貧施策であると解することができる。すなわち、前記補足性の原則等のような規定の存否が、憲法第二五条第一項に直接関係する法律ないし制度であるかどうかの判断の主要な目処になるということができる。

ところで、国民年金法の制定に至る経過をみてみるに、〈証拠〉によれば、次のことが明認される。

我が国の経済保障(社会保険)制度の中心は公的年金制度であるが、同制度は、国民年金、厚生年金の二制度を主柱とするほか、船員保険、国家公務員共済組合、地方公務員等共産組合、公共企業体職員等共済組合、私立学校教職員共済組合、農林漁業団体職員共済組合の八制度にわかれていること、これを沿革的にみると、官公吏に対する年金制度として知られている恩給が最も歴史が古く、明治初年に軍人恩給制度として始まり、間もなく文官に対する恩給も設けられ、大正一二年に恩給法に統一された。一方、現業官庁に勤務する者に対しては、大正八年ごろから官業共済組合が設立されていたが、これらが旧国家公務員共済組合法に引き継がれ、前述の恩給法と合体して、現在の国家公務員共済組合、地方公務員共済組合及び公共企業体職員等共済組合となつた。民間の被用者の年金制度としては、昭和一四年に船員保険法が制定され、まず海上労働者に対する年金制度が実施されたのが最初であり、昭和一六年の工場、鉱山等の一般労働者を対象とする労働者年金保険法がこれに続いた。更に後者は、昭和一九年には、適用対象も事務職員及び女子まで包含した被用者一般に拡大され、厚生年金保険法と改称された。しかし、これらの年金制度は、いずれも被用者を対象とするものであり、農民等の自営業者や零細企業被用者などは、依然として制度の外に取り残されてきた。これに対し、社会情勢の変化に伴う家族制度の崩壊、人口の老齢化、社会保障意識の高揚、戦後の急速な経済復興その他もろもろの社会的要因を背景として、これら既設の制度から取り残された人々をすべて年金制度の網の目に包み込むという構想の下に、昭和三四年に国民年金法が制定され、ここに我が国の年金制度においてもようやく国民皆年金の体制がとられるに至つたのである。このように、国民年金法は、国民皆年金の理念に基づき、これまでの被用者を対象とした公的年金制度による保護の及ばなかつた農漁業者、自営商工業者、自由業者等を適用対象として制定されたものである。我が国の年金制度は、それまで、一部国庫負担を加味した拠出制による社会保険方式を原則としていたので、国民年金制度もこれにならい、拠出対給付という対応関係を基本とし、老齢、障害、死亡などの保険事故に際して被保険者又はその遺族に保険給付を行い、その所得能力の喪失又は減少に対し必要なてん補を行おうとするものである。しかしながら、拠出制一本で貫くと、制度実施の時点において既に老齢、障害又は母子の状態にある者及び将来保険事故が生じても保険料納付期間が所定の期間に達しないため拠出制の受給権に結び付かない者に対しては、国民年金制度の保障する利益を及ぼすことができず、国民皆年金の理想が全うされない結果となる。そこで、右国民年金制度においては、この拠出制の欠陥を補うための経過的及び補完的な無拠出の年金制度たる福祉年金制度を設けるに至つたのである。

而して、国民年金法の規定を検討しても、前記補足性の原則等のような具体的、個別的救貧施策であると認めるべき規定は見当らず、受給資格及び給付内容は、保険事故の種別に応じて一般的に定型化され、保険事故により被保険者に生ずる生活需要の有無及びその具体的な程度いかんにかかわりなく、いわば平均的需要に着目して画一的な給付が行われる仕組みとなつており、且つ国民年金法第一条は、「国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、廃疾又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする。」と、第二条は、「国民年金は、前条の目的を達成するため、国民の老齢、廃疾又は死亡に関して必要な給付を行うものとする。」と規定していること及び前認定の立法の沿革に徴してみると、国民年金法による国民年金制度(本件で問題なのは障害福祉年金及び母子福祉年金制度)は、明らかに憲法第二五条第二項に基づく、防貧施策制度であり、同条第一項には直接関しないものであるといえる。

(3) 児童扶養手当法と国民年金法

国民年金制度は原則が保険制度である以上、被保険者たる夫が死亡したときに母子年金が、被保険者が廃疾の状態になつたときに障害年金が支給される仕組みになつており、右のような保険事故の発生が支給要件とされるため、制度発足時に既に死別母子の状態にある者、重度の廃疾にある者は、拠出制年金の支給を受けることができないため、これらの者にも、皆年金体制を実りあるものとする意味で、無拠出であつても、全額庫負担で年金を支給する規定が設けられた。これが経過的福祉年金である(国民年金法第八一条、第八二条)。また、拠出制年金の対象者でありながら、事故が発生した時に拠出期間が一定限度に満たず、拠出要件を充足しないため、拠出制年金を受けられない者を対象として、補完的福祉年金が設けられた(同法第五六条、第六一条)。以上のとおり、国民年金法は全面的に拠出制を採用するのではなく、拠出制を基本としつつ、拠出制を補うために、経過的に、あるいは補完的に無拠出制の福祉年金制度を採用して、国民皆年金体制の即時実現を達しようとしたものである。夫死亡という事故による母子世帯の所得(稼得能力)喪失ないし低下に対する所得保障を目的とする母子年金(遺族年金の一種)、又は廃疾という事故による所得(稼得能力)喪失ないし低下に対する所得保障を目的とする障害年金について、経過的、補完的に設けられたのが、母子福祉年金又は障害福祉年金である。

右のように、死別母子については、国民年金法による母子年金あるいは母子福祉年金又は年金関係各法による同様の給付を受けられるようになつたのであるが、夫と離婚し、又は内縁関係を解消した場合のように夫と生別した場合には、右のような給付は受けられない。これは、離婚その他夫との生別という人為的な事象が偶然性を前提とする年金保険事故になじまないため、保険料拠出を建前とする年金制度に取り入れられなかつたためであるが、死別と生別とを問わず、よつて生じた母子世帯の社会的、経済的実態は同じであるため、これと死別母子世帯とくらべその公平を図り、生別母子世帯について母子福祉年金に準ずる所得保障を実施することにしたのが、児童扶養手当法の制定である。その際、実質的に生別母子世帯と同視し得る世帯即ち児童の父が廃疾である場合等のような場合も同様の保障の対象とすることとされた(法第四条第一項第一ないし五号)。

以上児童扶養手当法による手当制度は、年金制度ではないが、実質的に防貧施策としての母子年金、母子福祉年金制度を補完する目的をもつて、創設された所得保障制度であると認めるのが相当である。

右のことは、児童扶養手当法の内容特に該手当の支給要件(公的年金給付との調整条項)、給付額、財源(全額国庫負担)の対比において母子福祉年金との応答が等しくなるよう配慮されていることからも明らかである。

もつとも、被控訴人は、「児童扶養手当の実質上の受給権者は、母でもなく、世帯でもなく、正しく児童であり、また稼得能力の低下、喪失に対する所得保障の性格をもつものではない。この点において母子福祉年金とは違う。」旨主張する。そうして、児童扶養手当法第一条が手当法の目的を「児童の福祉の増進を図る」と規定し、同法第二条が手当支給の趣旨を、その前段において「児童の心身の健やかな成長に寄与すること」と規定し、その後段において「その支給を受けた者は、これをその趣旨に従つて用いなければならない。」と規定し、更に同法第一四条第三号はこれを受けて、「受給資給者が、当該児童の監護又は養育を著しく怠つているとき」は「その額の全部又は一部を支給しないことができる。」と規定していることからすると、児童扶養手当は児童の健全な養育に資するという目的で支給されるものであることは明らかであるけれども、このことは前示のような立法の経緯及び同法第一条に「父と生計を同じくしていない児童について」とあり、また同法第四条第一項に手当は「母又はその養育者に対し」支給する旨の規定の存するところに徴すると、児童扶養手当は稼得能力の低下、喪失に対し、母(又は養育者)を受給権者とする所得保障の性格をもつと解することと矛盾するものではない。すなわち、児童扶養手当は法第四条第一項所定の母又は養育者にこれを支給し、その所得保障をすることによつて最終的には児童の福祉の増進が図られ、児童の心身の健やかな成長に寄与することになるのである。母子年金、母子福祉年金も最終的には全く同じ効用をもつものであると考えられる。

当審証人河野正輝の証言中、児童扶養手当の趣旨、目的に関する部分は、以上の理由から採用できない。

母子年金及び母子福祉年金の場合には支給要件として、「夫によつて生計を維持していた」者ということになつているのに対し、児童扶養手当の場合には、支給要件規定のうちに同旨の文言がないことを根拠として、児童扶養手当は、稼得能力の低下、喪失に対する所得保障の性格をもつものではないと結論づけるわけにはいかない。前者は保険的方法により所得保障をしようということから、規定上受給権者を制限特定する上で必要であるため、入れられているものにすぎないし、児童扶養手当法第一条に「父と生計を同じくしていない」との文言が入れられてあることによつてみれば、児童扶養手当も母子年金、母子福祉年金と別異に解すべき理由はない。また児童扶養手当法第五条の第二子からの加算規定は児童扶養手当が稼得能力の低下とは無関係のことを示すものであるともいえない。児童扶養手当は、生別母子ということから一般的に予測される稼得能力の低下、喪失によるその所得の一部を保障するものであつて、一挙にそれによる所得の低下、喪失の全額を保障するものではないから、技術的に、児童数によつて支給額を按分していく方法をとつているものと考えられないことはない。また当審証人坂本龍彦の証言によると、児童扶養手当法の児童数に応じた加算の制度及び国民年金法の母子年金、母子福祉年金における扶養家族がある場合の加給の制度は、ともに児童扶養手当または年金を受ける者の生活実態にある程度見合つた給付をすることが適当であるという考え方に基づくものであることが認められるので、右加算制度のあることをとらえて、児童扶養手当を母子福祉年金とは性質が異なるとか、稼得能力の低下、喪失とは関係ないなどと断定するわけにはいかない。

その他被控訴人が児童扶養手当が母子福祉年金とは性質の異なるものであるとして挙示する事由は、いずれも、両者の関係をしかく決定づけるものではないし、また前記解釈に抵触を来たすものではない。

(4) 児童扶養手当と児童手当

被控訴人は、「児童扶養手当は、父と生計を同じくしないという特殊な状態にある児童に限定して設けられた児童手当制度の一種である。」旨、また「児童扶養手当は、国際的な意味での家族手当としての児童手当であつて、他の年金給付などと併給するのが原則である。」旨主張する。そこで以下この点について検討を加える。

我が国の児童手当法は、昭和四六年五月二七日制定され、昭和四七年一月一日から施行されたものであるが、〈証拠〉によると、同法による児童手当制度は、一般に家計における児童養育費は養育する児童数に応じて増大する一方、所得は必ずしもこれに対応するものでないことから、一定数以上の児童を養育している者に対して、その養育している児童数に準拠した所定の給付を行うことにより、児童養育費の負担を総体として減少させ、所得と支出の不均衡を是正しようとするものであると観念されていることが認められ、また、〈証拠〉によつて、世界各国の児童手当制度を概観してみても、右同様に、児童の養育費の負担を軽減することを目的とする給付としてとらえ、給付は原則的には児童数(児童の養育費の増減)に比例すべきものとして扱つていることが認められる。すなわち、児童手当は児童の養育費の負担増に対応する支出保障としての給付であるというべきである。このことは、児童手当法第一条中に「児童を養育している者に」児童手当を支給する旨、「家庭における生活の安定に寄与する」とともに「次代の社会をになう児童の健全な育成及び資質の向上に資する」ことを目的とする旨規定していること及び同法第四条所定の支給要件規定の内容から十分に窺知できる。

これに対し児童手当法は、前示のような立法経緯及びその内容からして、最終的には児童の成長に寄与する効用をもつものではあるが、主として生別母子状態という稼得能力の低下又は喪失に着目して、母(又は養育者)を受給権者として、母子福祉年金に準ずる所得保障を行う制度を定めたものであると解することが出来る。

更に児童手当法の立法趣旨を考えるに、〈証拠〉によると、我が国の児童手当法の制定の過程において、児童扶養手当制度の外に児童手当制度を設けるに至つたのは、「多子」という負担増加に着目し、すべての世帯にこれが手当を一律に支給するという必要からであつて、児童扶養手当との間における制度の目的趣旨が違うことを十分意識して扱つていたことが窺われる。

また、〈証拠〉によれば、児童手当あるいは家族手当は、世界各国の例をみても、子女の扶養を要件として一般家庭における平均的生活状態に着目して給付を行うのが普通で「扶養」以外の両親の一方が欠けているとか、児童が心身障害児であるとかいう特別の事由について支給要件、給付額を変えることをしているものはないことが認められる。いずれにしても児童扶養手当をもつて、児童手当の一であるとはいい難い。

このように、児童手当が、児童を養育していることに伴う支出の増加に着目した制度であるのに対し、児童扶養手当は、稼得能力の低下又は喪失に着目した制度であり、両制度は基本的に性格を異にしているから、それぞれその受給資格、支給要件、支給額等を独自に規定し、かつ両制度相互の間で、受給資格、手当額等について何ら併給調整を行つておらず、児童扶養手当の受給者についても、児童手当の支給要件に該当すれば児童手当が支給されその場合に何れか一方の額が減額されることもない。

また、〈証拠〉によれば、次のことが認められる。すなわち、ILO一〇二号条約は、社会保障制度を社会保障上の事故別に九つに分類して、それぞれの基準を定めている。

すなわち①医療、②疾病給付、③失業給付、④老齢給付、⑤業務災害給付、⑥家族給付、⑦母性給付、⑧廃疾給付、⑨遺族給付の九部門である。そこで児童手当は右「家族給付」の中に分類される。そして同条約第六九条は、「家族給付」を除いて、公的年金給付間の併給の調整ができる旨定めているけれども、「家族給付」については同第四〇条において、単に「適用を受ける事故は、所定の子に対する扶養の義務とする。」旨定めているのみであつて、それ以外の廃疾、死亡、稼得能力者との生別というような事故を家族給付の事由とはしない。したがつて、ILO一〇二号条約にいう家族給付のうちには、夫(父)との生別を給付事由とする我が国の児童扶養手当は含まれず、また同条約第六九条にいう供給調整の除外事由にも当らない。また、右のように同条約第四〇条が家族給付について、「適用をうける事故は所定の子に対する扶養の義務とする。」との規定に関し、ILO第一〇二号条約に関する条約、勧告適用専門家委員会の報告書も、両親が離婚、別居、あるいは死亡した場合等の子に対して一定の給付を支給する立法について、その保護の範囲は、「条約の規定に適合するとは思われない基準」であると述べている。南ア連邦、デンマーク、アメリカ合衆国などでは、ILO一〇二号条約の家族給付部門に含まれない父又は母の死亡、離婚、別居、廃疾、老齢などを給付事由とする規定を別に設けている。同条約は、遺族給付の部門において、同条約第六〇条第一号中で「適用を受ける事故は、扶養者の死亡の結果その寡婦又は子が被る扶養の喪失とする。」旨定めている(ILO一二八号条約第二一条第一号同旨)。等しく労働者の生活上のニードに対する保障であつても、疾病(所得の中断)、老齢(所得の喪失)などによるような事故の場合に支給すべき給付と、家族手当金というような給付とではその性格が異なり、前者は「失つた所得に対する補償」というものであり、後者は子女の扶養という事故がある限り、支給さるべきもので「所得への恒常的な補給」というものであるという区別があることは、国際的に理解されていて、ILO一〇二号条約の前記内容もこの意味において解釈さるべきである。ILO一二八号条約中には「家族給付」についての定義づけは見当らないが、同条約第三三条第二項には、この条約で定める給付は同一の事故について「家族給付」を除く他の社会保障現金給付を受けている場合には、併給の調整ができると定めている。ILO一二八号条約にいう「家族給付」も一〇二号条約のそれと差異がないとみるべきである。一九六九年当時、国際的に我が国には、公務員に対する特別制度を除いては、家族手当と称し得るものが存在しないとされ、我が国の児童扶養手当は国際的にも家族手当として扱われていなかつた。以上のことが認められる。

叙上認定の事実に前示のような我が国における児童扶養手当の趣旨を比照すると、児童扶養手当は国際的な意味における家族給付の一種ではなく、むしろ、ILO条約一〇二号、同一二八号各条約の遺族給付に近似したものであると認めるのが相当である。

したがつて、我が国の児童扶養手当において他の年金給付との併給調整を行つたからといつて、それが国際的常識に反し、不合理であるとはいい難い。

(5) 児童扶養手当と生活保護

児童扶養手当は無拠出であり、その財源は全額国庫負担となつているため、この点では生活保護と違うところはないけれども、前示のような児童扶養手当制度創設の経緯に照らすと、児童扶養手当が無拠出制であることは、無拠出制の年金(福祉年金)が国民皆年金体制の早期実現という政策的配慮に基づく経過的補完的特別措置によつて設けられたのと同趣旨において設けられたもので、生活保護の場合とは趣旨が異なることが容易に認められる。

前述のとおり、年金制度は、老齢、廃疾又は生計中心者の死亡という所得能力の低下又は喪失の原因となる事故が発生した場合に、所得保障としての年金を支給するものであるが、児童扶養手当制度も又防貧施策としての年金制度(母子福祉年金制度)を補完する性質のものであり、夫(父)と生別という原因による稼得能力の低下、喪失に対する所得保障としての手当を支給する制度である。

そして、児童扶養手当法には、具体的に稼得能力が低下、喪失した状態にあるかどうか、資産状態はどうであるかなどのような個別調査(ミーンズ・テスト)をとつた規定はなく、生別母子という原因の発生によつて、一般的に所得能力の低下、喪失があるとして手当を支給することにしているのである。前示生活保護法に見当たる「補足性の原則」などのような具体的、個別的救貧施策であることを予定させる諸規定は児童扶養手当法中には存在しない。もつとも、同法第九条ないし第一一条にみられる前年度における所得制限の規定が存し、所得の喪失の程度についてある程度の判断を経た上でなければ給付がなされないことになつているけれども、給付の程度は所得の喪失の程度に対応せず、前年度の所得が一定の限度以上の者に対しては一切支給しないかわりに右の限度に満たない者に対しては所定の全額を支給する仕組みになつており、この点、生活保護とは趣を異にしている。

以上のようなことからすると、児童扶養手当法には国民年金法第一条のように憲法第二五条第二項の趣旨を具体的に実現するものであるとするような目的規定はなく、その第一条に、この法律の目的として、「この法律は、国が、父と生計を同じくしていない児童について児童扶養手当を支給することにより、児童の福祉の増進を図ることを目的とする。」と規定しているにすぎないけれども、なお児童扶養手当制度は憲法第二五条第二項の規定する理念に基づき、国民皆年金制度のもたらす恵沢を国民年金給付の対象から漏れた人々に対してもひろく補填させる目的から設けられた制度であるといえる。したがつて児童扶養手当制度は、国民の生活水準の相対的向上を図るための憲法第二五条第二項に基づく積極的、事前的防貧施策の一であつて、同条第一項の「健康で文化的な最低限度の生活」の保障には直接関しないと解することができる。換言すれば、児童扶養手当制度は、生別母子世帯の生活は最終的には生活保護法によつて保障されるべきものであるとの前提に立つて、主として所得能力の低下、喪失に対し、一般的総括的に、その所得の一部を保障しようとする制度であるということができる。

(三) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じた本件併給禁止条項は憲法第二五条第一項に違反しない。その理由は次のとおりである。

憲法第二五条第一項にいう「健康で文化的な最低限度の生活」(生存権)の達成を直接目的とする国の救貧施策としては、生活保護法による公的扶助制度がある。そして、国民年金法による障害福祉年金、母子福祉年金及び児童扶養手当法による児童扶養手当、児童手当法による児童手当などは憲法第二五条第二項に基づく防貧施策であつて、同条第一項の「健康で文化的な最低限度の生活」の保障と直接関係しないことは既に述べたとおりである。

したがつて、児童扶養手当法が障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止したとしても、生活保護法による公的扶助たる生活保護制度がある以上、憲法第二五条第一項違反の問題を生ずるものではない。すなわち、その被保障者の生活実体がもし右併給を受けなければ、なお貧困の域を脱することができないというのであれば、当該被保障者には生活保護法による生活保障の途が残されているのであつて、本件併給禁止条項は憲法第二五条第一項とかかわりがないといわねばならぬ。

(四) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁じた本件併給禁止条項は憲法第二五条第二項に違反しない。その理由は次のとおりである。

憲法第二五条第二項には同第一項のような「健康で文化的な最低限度の生活」の保障という絶対的基準はなく、而も国は「生活水準の向上につき、財政との関連において、できる限りの努力」をすればよいのだから、国が同条項に基づき、具体的にどのような内容の法律を定立し、どのような施策をし、これにどのような性格を与えるか、これによりどの程度の生活水準の向上を図るか、更には一の施策と他の施策との関連をどうみるか、個々の施策について、その給付要件、対象を如何にするか、支給額をどの程度にするかは、いずれも立法政策の問題であつて、立法府の裁量に任せられているといわなければならない。

そして、このような立法政策に属する事項については、政治上その当不当の批判を受けることあるは格別原則として、違憲問題を生じる余地がない。只例外として立法府の判断が恣意的なものであつて、国民の生活水準を後退させることが明らかなような施策をし、裁量権の行使を著しく誤り裁量権の範囲を逸脱したような場合であれば、憲法第二五条第二項に反することが明白となり、司法審査に服することとなる。

ところで、〈証拠〉によれば、次のことが認められる。すなわち、①我が国の公的年金制度(児童扶養手当制度も含む)はいくつかの制度に分立していることから、一つの事故の発生によつて、いくつかの制度による給付の重複が生じることがある。また複数の事故の発生した結果、給付が複数競合することもある。②しかしながら、国家財政上、社会保障に支出され得る財源は無限ではあり得ないから、右のような複数の給付の間における調整の問題が生じてくる。③このような場合において、第一は併給を調整又は禁止する行き方であるが、これによると併給の調整又は禁止の結果、浮いた財源は他に回して支給事由を増設し、支給対象者の範囲を拡大することができ、大多数の国民層が何らかの支給事由に基づいて少なくとも一種類の年金、手当等の公的給付を受けられるようにすることができることになる。第二は併給を認める行き方であるが、これによると支給対象者の範囲を一部の者に限局する代りに、その者には手厚い給付を行うことになる。④そして、母(又は養育者)が障害福祉年金を受給できるときは児童扶養手当の支給を受けられないことになつたのは、母(又は養育者)の児童扶養手当の消極的受給要件(障害事由)のうちに、母又は養育者が公的年金受給者であることを規定したからで、結局これは右第一の行き方をとつたものである。そしてこのような併給禁止措置がとられたのは両者とも無拠出で全額国庫負担であり、共に稼得能力の低下、喪失に対する所得保障であり、右稼得能力の低下が事故数に必ずしも比例するものでないから、そのうち最も重大な事故(ここでは廃疾)に対応する給付のみを行うとしても不合理ではないという見解にもとづき右併給禁止の立法措置がとられるに至つた。以上のことを認めることができる。この認定に反する証拠はない。而して右第一、第二のいずれの行き方が国民の生活水準の向上増進を図る上で効果的であり、より適切であるかの判断は、立法政策に属するところであるが、その判断をなすに際しては国の財政、社会保障制度全般、各制度の目的、役割、国民感情などを考慮して、これを総合してなされるべきであり、このようなことを考慮して結論を出すことは立法府の裁量の範囲に属する事項であるといわねばならない。これを本件についてみるに、以上の認定によれば立法府が障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止したことが、右のような点に立法府が考慮を払わず、恣意によるなどして裁量権の行使を著しく誤り、またはその濫用の結果に出たものとは認め難いから、右併給を禁止した本件併給禁止条項は憲法第二五条第二項に違反するものとはいえない。

(五) 被控訴人は、「母が被控訴人のような重度の身体障害者である生別母子世帯の極貧状態の生活実態、殊に生活保護制度が生存権の保障の機能を十分発揮していないという現状と無拠出制の年金や手当が実際には、その支給額が低額過ぎるため、救貧の役割しか果たさず、年金や手当の支給を受けなければ生活していけないという現実からして、母が僅かな障害福祉年金を受給しているという一事のみをもつて、本来生存権保障のために設けられている児童扶養手当の支給をしないということは憲法第二五条に違反する」旨主張する。

而して、右主張は憲法第二五条を、同条第一項では国民が生存権を有することを総則的に規定し、同条第二項は第一項から生ずる国の当然の義務として、いわゆる社会立法によつて国民の健康で文化的な最低生活を保障すべきことを規定しているものだとの解釈を前提にして、国民年金や児童扶養手当の制度ないし立法の趣旨内容は、直接「健康で文化的な最低生活」を保障するものでなければならないとの考え方に立脚するものであると解される。

しかしながら、憲法第二五条は前説示のように解すべく、即ち同条第二項は国が国民の生活水準の向上に努めるべき責務のあることを、同条第一項はすべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営み得るように国政を運営すべき責務のあることを各規定したものであり、同条第二項による具体的な施策は直接には「健康で文化的な最低生活」の保障をするに足るものとして設けられたのでなく、右最低生活は最終的には生活保護により実現されるべきものであると解すべきであるところ、児童扶養手当も、障害福祉年金も共に「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を直接の目的として設けられたものではなく、いずれも稼得能力の低下、喪失に対する所得の一部を保障しようとするもので、憲法第二五条第二項に基づく防貧施策に属すると解すべきである。

したがつて、被控訴人のような母が重度の身体障害者である生別母子世帯の生活実態が劣悪で「健康で文化的な最低限度の生活」に及ばないとすれば、その救済は、本来救貧施策である生活保護制度に依存さるべきこととなる。そして本件併給禁止がなされても、なお生活保護をうける途は残されているのであり、生活保護の問題としては保護基準の適正化(保護基準の設定は厚生大臣の合目的的裁量にまかせられているが、その判断が現実の社会条件を無視するようなものであれば、裁量権のゆえつ、又は濫用にあたり違法である。最高大法廷判昭和四二・五・二四民集二一巻五号一〇四三頁)や、制度の運用の適正化などによつて達成し得るよう図るべきことである。本件併給禁止条項はいずれも憲法第二五条第二項に由来するもの同志の間におけるものであるから右生活実態を理由に「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を直接に目的としない障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止をもつて、憲法第二五条に違反するとはいえない。また、救貧施策と防貧施策を混同し、いずれも後者に属する年金や手当が低額すぎて救貧の機能しか果たさず、その支給がなくては現実に生活ができないから、障害福祉年金と児童扶養手当を併給しなければ、憲法第二五条に違反するとの被控訴人の主張は採用できない。

(六) 控訴人は、「国がすでに立法によつて、一定水準の生活権保障施策を具体化しているばあいに、それにも拘らず、国民のある部分について、正当な理由なく、施策の対象から除外したり、より劣悪な処遇をしたりすることは生存権の侵害である。即ち児童扶養手当法は一定以下の所得水準にある生別母子世帯等の児童を対象に、児童の心身の健やかな成長に寄与することを趣旨として一定の手当を支給する旨定めながら、同一の法律の中でとはいえ、母(養育者)が右手当とは全く趣旨の異なる障害福祉年金を受給しているという一事のみによつて、右手当の支給を禁じていることは、右手当や年金が母子世帯の児童や障害者の生存権を保障するものであることを無視して、これを侵害し、且つ一旦与えた国民の右手当受給権を奪い、憲法第二五条の具体化として実現された一定の生活水準の後退を意味するものであつて、同条に違反する。」旨の主張をする。

しかしながら、右前段の主張(生存権の侵害である)は障害福祉年金制度や児童扶養手当制度が「健康で文化的な最低限度の生活」(生存権)の保障を直接目的とした施策であることを前提にした主張であるが、右両制度共防貧施策であつて、直接には右最低生活基準の実現を目的とする制度ではないと解すべきであるから、所論はその前提において既に失当である。

また右後段の主張(生活水準の後退である)については、〈証拠〉によれば、本件併給禁止条項は児童扶養手当法制定の当初から存在し、法の改廃によつてうまれたものではないことが認められ且つ同条項の趣旨は母(養育者)が年金を受給し得るときは、もともと手当の受給権を与えないというもので、児童扶養手当の消極的支給要件(障害事由)を定めたものと解すべきであるから、一旦賦与された手当受給権を後に奪つたものとはいえない。

(七) 以上、母(養育者)が障害福祉年金を受給できるときは、児童扶養手当を支給しない旨の本件併給禁止条項及びこれに基づいてなされた本件処分は、憲法第二五条に違反して無効である旨の被控訴人の主張は理由がない。

4  憲法第一四条第一項と本件併給禁止条項。

(一) 憲法第一四条第一項の解釈と公的年金を受けることができる地位。

憲法第一四条第一項は、国民に対し絶対的な平等を保障したものではなく、差別すべき合理的な理由なくして差別することを禁止している趣旨と解すべきであるから、事柄の性質に即応して合理的と認められる差別的取扱をすることは何ら右法条の否定するところでない(最高大法廷判昭和四五・六・一〇民集二四巻六号四九九頁、同昭和三九・五・二七民集一八巻四号六七六頁)。そして同項前段のいわゆる法の下の平等原則は法秩序全体の基本原則であつて、法の適用について行政、司法を拘束するのみならず、立法についても立法府を拘束するものと解するを相当とする。

また、同項後段は、前段の原則をより具体的に示したもので、挙示の人権、信条、社会的身分、門地等の差別事由は、重要事項を例示したもので、この例示にもれたのものは、平等が保障されないという趣旨ではない、と解すべきである。そして、同条項中の「社会的身分」とは、広く人が社会において占める或程度継続的な地位を指すものであつて、人の出生によつて決定される社会的な地位または身分に限定されるものではないと解するのが相当であるから、本件条項中の「公的年金を受けることができる地位」もまた、右の「社会的身分」に類するものといい得るのであり、憲法第一四条第一項は、このような地位による差別をも禁止しているものといわなければならない。

(二) 障害福祉年金と児童扶養手当との併給を禁止した本件併給禁止条項は憲法第一四条第一項に違反しない。その理由は次のとおりである。

本件において、被控訴人は夫と離婚し、児童を養育しているため、児童扶養手当を受けられるべき筈のところ、被控訴人自身が国民年金法別表記載の一種一級に該当する廃疾の状態にある者(視力障害者)として、障害福祉年金を受けているため、本件併給禁止条項により、児童扶養手当の支給を受けられないことになるが、そこには障害福祉年金を受けることができる地位にある被控訴人が、そのような地位にない者との間において、等しく児童を養育していながら、児童扶養手当の支給を受けられないという差別扱いがなされているものといわなければならない。

そこで、このような差別扱いが合理性を欠くかどうか、すなわち、障害福祉年金と児童扶養手当との併給禁止をすることに合理的理由があるかどうかということについて判断を進めてみる。

右併給禁止条項が憲法第二五条との関係において立法裁量を逸脱したものでないことはさきに認定したとおりである。ところで、法の下の平等原則はあらゆる立法についても立法府を拘束するものであるから、ここに改めて憲法第一四条との関係において右立法の内容が憲法第一四条に適合するかどうかについて検討しなければならない。そして右のように併給禁止条項が障害福祉年金の受給者か否かにより、児童扶養手当を受けられるか否かに差別を設けたものと解するとせば、右差別について合理性の有無が憲法第一四条適否を決することになる。公的年金相互間に重複が生じた場合、財源には限度があるため、併給を調整又は禁止して、これにより浮いた財源を他に広く給付することによつて、大多数の国民層が少なくとも一種類の年金、手当等の公的給付を受けられるようにすることは、限りある財源を効率よく公平に活用するという見地からは相当のことである。しかし一方、趣旨、目的が異なり、役割の違う年金や手当相互間において、併給調整したり、併給禁止をしたりすることは、これを必要とする国民層のニードに対応した給付をしないことに帰し、正当なことではない。したがつて、これらをいかに調和せしめるかが問題である。而も、国の社会保障施策は多岐にわたつているが、これらが総合作用して、はじめて憲法第二五条の趣旨が具体的に実現されるよう仕組まれているのであるから、単に一部門のみにおいて、国民のニードに対し憲法第二五条の趣旨が具体化されているかどうかをみるだけでは不十分であり、こうした施策の全体系を考慮に入れて総合的に考察するのでなければ、当該併給調整又は禁止が合理的であるかどうかの正当な判断はできないものといわねばならない。

ところで、国民年金法第二〇条は、国民年金法所定の二以上の年金給付の受給権者には、その者の選択により、その一つを支給し、他の支給を停止する旨、同法第六五条第一項第一号は、障害福祉年金、母子福祉年金及び準母子福祉年金は受給権者が公的年金給付を受けることができるときは、その支給を停止する旨各規定している。そして、本件併給禁止条項の内容は、国民年金法第二〇条、同第六五条第一項第一号の内容と同趣旨となつている。

また他の年金制度例えば、厚生年金保険法第三八条第一項及び船員保険法第二三条の七第一項は、国民年金法第二〇条と同旨の定めをし、国家公務員共済組合法第七四条は、退職年金と廃疾年金について、いずれか一つの給付を行う旨定をめ、地方公務員共済組合法第七六条も同旨の定めをしているのである。

而して、〈証拠〉を総合してみると、立法府が右のような併給調整又は禁止をした立法的根拠は、事故が複数であつてもそれによる稼得能力の低下、喪失という結果は同一であること(例えば障害福祉年金と母子福祉年金又はこれを補完する児童扶養手当とは併給されないが、前者は廃疾という事故による稼得能力の低下、喪失に対する所得保障であり、後者は家計維持者との死別又は生別による母子状態を事故とする稼得能力の低下、喪失に対する所得保障であり、結局事故は複数であつてもその結果は同一であるということ)複数の所得低下、喪失を招来する事故が発生しても、所得低下、喪失の程度は必ずしも比例的に加重されるものではないこと、同一人について二つ以上の事故が生じた場合にそれぞれの年金を支給することは、特定の者に対してのみ二重三重の保障をすることになり、事故が重複していない者との間にかえつて不均衡を生じ、全体的な公平を失することになること、特に障害福祉年金と母子福祉年金更にこれを補完する児童扶養手当の併給禁止は、これら年金、手当がいずれも無拠出制であつて、費用は全額国庫負担であり、一般国民感情が未だ併給を当然視する迄に至つていないこと、憲法第二五条の趣旨を具体化しようとする施策は年金や手当制度の外に、数多くの施策がなされているため、これらの総合的な見地に立脚して、年金や手当の併給調整又は禁止をしても、そのことだけをとりあげて、一概に国民のニードに応じない施策をしたものであるとはいえないこと、例えば身体障害者、母子のように何らかの援護を必要とする者のためのその他の施策としては、まず社会福祉施策として、身体障害者福祉法等に基づき公的機関による相談指導、身体上の障害を軽減し、あるいは除去して日常生活能力、職業能力の向上を図るための更生医療の給付、身体上の欠陥を補うための補装具の交付、特別の医学的治療、生活訓練を必要とする者を対象にリハビリテーションを行うための身体障害者更生援護施設への収容の措置、身体障害者家庭奉仕員の派遣等、各種の更生援護の措置が採られているし、そのほかにも、他の制度による福祉措置がある。雇用安定制度、税制度上の優遇措置、諸料金等の減免等である。母子に対しては、母子福祉法等に基づき、母子福祉資金の貸付け、母子相談員による相談指導、母子福祉施設の設置、母子寮への入所の措置等の福祉の措置が行われている。またこれらの者が病気をしたり、けがをした場合には、健康保険法、国民健康保険法等の医療保険制度により、医療の給付がなされることになつているなどのこと、更には、こうした諸施策にもかかわらず、なお生活困窮に陥つた者に対しては最終的には個別的な救貧施策として生活保護制度が設けられているため、これにより救済がはかられること、家族給付(我が国の児童扶養手当はこれに含まれない)を除いては併給調整又は禁止しても国際的常識にもとるものではないこと、以上のようなことから、立法府は財源の公平且効率的活用のため、複数の事故のうち、最も重大な事故(本件の場合は廃疾)に対する給付のみを行うことにし併給を禁止したり、又その調整を行うことには合理的理由があるとの見解に依拠したものであることが認められる。

而して当裁判所も右併給禁止に合理性があるものとした右見解を是認できるのであつて、これによれば障害福祉年金と児童扶養手当との併給をも禁ずる本件併給禁止条項が、立法府の恣意によるなどして、その合理性の判断を著しく誤つたものであるとは到底認め難い、したがつて前記のような差別扱いが合理性を欠くこと明らかであるとはいえない。

もつとも、〈証拠〉から窺われる重度身体障害者、母子世帯の生活実態からすると、右立法的根拠にあげられる諸施策が十分にそれぞれの役割に応じた機能を発揮しているかどうか疑問がないとはいえないけれども、これらはこうした施策の運用において適切なものが欠けている故であると認められるから、これをもつて、本件併給禁止が合理性を欠くことが明らかであるとする根拠とはなしがたい。

被控訴人は、「本件併給禁止条項は母が障害福祉年金を受給している児童と、そうでない児童とによつて、児童扶養手当の支給の上で不合理な差別扱をうけていることになる。」旨主張しているが、児童扶養手当の受給権者は母(養育者)であつて、児童ではないと解せられること前説示のとおりであるから、右論旨は採用できない。

被控訴人は、更にまた「本件併給禁止条項は、原判決理由中で判断されているように世帯ごとの比較をしてみても不合理な差別である。」旨主張する。

原判決によると、障害福祉年金を受給している母が児童を養育している被控訴人の家庭のような母子世帯と、父が障害福祉年金を受給し、健全な母が児童を養育しているような三人の世帯とを比較し、後者の場合には児童扶養手当が支給されるのに反し、前者の場合には支給されないことになり、そこには児童扶養手当の支給について、性別による差別と、公的年金を受給し得る地位による差別と二重の差別が存在するとしているのであるが、このような比較は正当ではない。性別による対比をするとすれば、廃疾の父が児童を養育する場合における同手当の支給の有無をもつてすべきである。そして廃疾の状態にある父が児童を養育している場合、その父は児童の養育者たる資格において児童扶養手当の支給をうけることができる(児童扶養手当法第四条第一項第三号)が、父が障害福祉年金を受給しているときは、児童扶養手当は本件併給禁止条項により支給されないのであるから、性別による差別はない。したがつて所論は採用できない。

5  憲法第一三条と本件併給禁止条項。

被控訴人は、「児童扶養手当は児童の心身の健やかな成長に寄与すために支給されるものであるのに、この目的とは全く関係のない母が障害福祉年金を受給しているという事実により、同手当の受給資格を奪う本件併給禁止条項は、児童を個人として尊重しないものであり、憲法第一三条に違反する。」旨主張する。

右は憲法第一三条前段の違背を主張するものと解せられるところ、同条に「すべて国民は、個人として尊重される。」とは全体主義、国家主義を斥けて、個人主義をとることを宣言したものである。すなわち、個人主義思想の国家観によれば、国家は人間が個人の尊重、個人の自由を基礎とする共同生活を営むために必要な秩序を創設維持するためにあるのであり、「個人として尊重される」というのは、個人人格の固有価値を認め、これを全法秩序の基礎として尊重する趣旨である。憲法はその理念を原則規範として表明したものであると解することが出来る。

そして、児童扶養手当の受給権者は母であると解すべきこと、障害福祉年金と同手当との併給を禁止したことはその立法的根拠に照らし、合理性を欠くことが明らかであるとはいえないことからしてみると、右併給禁止だけをとらえて、直ちに個人主義にもとるなどとは到底いい得ない。したがつて、所論は理由がない。

三そうだとすると、本件併給禁止条項は憲法に適合しないとはいえないから、これを適用して控訴人のなした本件却下処分は適法であり、何らの取消理由もない。

その二附帯控訴(本件給付訴訟についての原判決の当否)関係

被控訴人は本訴において、処分の取消請求に併せて、「控訴人は被控訴人が昭和四五年三月から同年八月までは一カ月金二、一〇〇円、同年九月からは一カ月金二、六〇〇円の各割合による児童扶養手当の受給資格を有する旨の認定をしなければならない。」との請求(義務づけ訴訟、給付訴訟)をしているものである。思うに、一般に許認可申請(認定請求)に対する行政庁の拒否処分(先行処分)に対して、その取消しと申請(請求)内容例処分を求める訴について、右先行処分の取消判決が確定した場合には、行政庁は行政事件訴訟法第三三条第一項により、これに拘束され、同条第二項により右申請(請求)に対し、更に処分をやりなおすことになるが、同条の拘束力は裁判所が違法としたと同一の理由に基づいて同一人に対し同一内容の処分をすることを禁ずる趣旨にすぎないものであつて、行政庁が別の理由に基づいて同一内容の処分をすること迄も妨げるものではないと解される。従つて、行政庁が右取消判決の趣旨に従つて改めて申請に対する処分をするに当つては判決の趣旨に従つて、右申請(請求)に応じた内容の許認可もしくは認定処分をすることも、或はまた、判決が違法とした理由とは異なる点について自ら第一次的判断を加えその結果、判決とは異る理由により、再び同一の拒否処分をすることも許されるというべきである。

果して然らば、右のような先行処分の取消請求に併せて義務づけ訴訟を提起しているような場合においても、行政庁に対する義務づけ訴訟は、三権分立の立場から、なお原則的には不適法として許されないというべきである。しかしながら、例外的に、先行処分の取消判決の違法とした理由以外の理由をもつて再び同一の拒否処分をなす余地がなく、申請に応じた処分をなすべき行政庁の作為義務の存在が一義的に明白であり、且つ事前の司法審査によらなければ、当事者の権利救済が得られず、回復しがたい損害を及ぼすというような緊急の必要性があると認められる場合には、行政庁に対する義務づけ訴訟も許されると解するのが相当である。

もつとも、この点については有力な反対説がある。それによると、「原告は処分の違法を主張して、その取消を求めているのであるから、訴訟の対象は処分自体であつて、処分理由ではない。そして被告行政庁としては、その違法ならざる所以を立証すべき立場におかれているのであつて、取消判決後、別の理由で再度同一の処分を行うことを認めるのは、防禦の手段を尽さなかつた被告行政庁に利益を与える結果となるばかりか、事件は裁判所と行政庁の間で往復を繰返し、最終的解決に役立たないものとなり、国民の権利救済に欠けるとの理由から、取消判決確定後、行政庁はいかなる理由によるにせよ、再度拒否処分を行うことは許されないと解すべきである。それ故、取消判決がある以上行政庁の作為義務が一義的に明白になつたとして義務づけ訴訟を適法として許すべきである。」というのである。

そして、この反対説のように行政庁において当該拒否処分をした理由以外の理由を取消訴訟において提出することも許されると解して差しつかえないであろうけれども、行政庁がその提出を怠つたことの故をもつて、直ちに行政庁に対し訴訟において提出しなかつた理由による同一内容の処分のやりなおしを許さないという拘束を認めるということは、訴訟法的にみて(特に訴訟物をいかに理解するか)講学上いわゆる「新訴訟物理論」に基づかない限り首肯できないといわざるを得ない。また実際問題として、行政庁は処分理由以外の理由があれば、その主張をも併せてなすのが常であり、右防禦方法の提出の懈怠もしくは出しおしみの結果、いつまでも事件を裁判所と行政庁の間でたらいまわしして、最終的解決を遅らしめるというような事態がひきおこされるというおそれはないであろうし、更に右反対説によれば、本件のように、義務づけ訴訟を取消訴訟と併合提起している場合取消判決が確定すれば当然申請(請求)に応じた内容の処分がなされるのだから、義務づけ訴訟を認める訴の利益はないことになる。以上の点から右反対説には左袒できない。

以上の見地に立つて、これを本件についてみるに、児童扶養手当法第六条に基づき、都道府県知事のなす「受給資格及び手当の額」の認定については、同法第一二条、第一四条、第二九条などの規定に照らし、なお都道府県知事の裁量判断の余地が残されていると認められるので、本件認定処分が一義的になされるべきものというを得ない。本件義務づけ訴訟は不適法であり、許されないものといわなければならない。

第三結論

そうだとすると、原判決中、被控訴人の本件児童扶養手当認定請求却下処分の取消請求を認容した部分は失当であるから、これを取消し、右取消請求を棄却し、被控訴人のその余の請求にかゝる訴(義務づけ訴訟)を却下した部分は正当であるから、被控訴人の本件附帯控訴は失当として棄却することとし、民事訴訟法第八九条、第九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(増田幸次郎 仲西二郎 三井喜彦)

(別紙(一)) 控訴人の主張

第一 被控訴人の本案前の主張について

一、「本件控訴は控訴人の真意に基づかないものである」との主張について

控訴人は一審判決に対する控訴の要否につき、「控訴しないことが適当と思料される。」との参考意見を付して法務大臣の指示を求めたが、法務大臣は、国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律(以下「権限法」という)による指揮権に基づいて、控訴人に対し、第一審判決に対して上訴すべき旨を指示した。そこで控訴人は、右の指示に従つて控訴することに決定し、本件控訴に及んだものである。控訴人が最終決定に至る間にどのような見解を抱こうが、最終的には控訴する意思を固めて控訴提起したものであることは明白である。

二、「本件控訴は国の強迫に基づくものである」との主張について

被控訴人は、法務大臣には本件控訴について控訴人に指示すべき何らの法的根拠も権限もなく、かかる指示は地方自治の本旨にもとる強迫行為であると主張するけれども、法務大臣の指示は権限法に基づくものであつて、地方自治の本旨にもとるものではない。

三、「本件控訴は控訴権の濫用に当るた」との主張について

被控訴人は、児童扶養手当と公的年金給付の併給禁止の一部撤廃を伴う改正法が成立した以上、控訴人は実質的な控訴利益を欠き控訴権の濫用にあたる旨主張するけれども、児童扶養手当法及び特別児童扶養手当法の一部を改正する法律(昭和四八年法律第九三号)の施行期日は昭和四八年一〇月一日であつて(同法附則一条)被控訴人の児童扶養手当の受給資格の有無は、右法律によつて何ら影響を受けるものではない。本件控訴には実質的な利益が存する。

第二 昭和四八年法律第九三号による改正前の児童扶養手当法四条三項三号(本件併給禁止条項)は憲法一四条一項及び同二五条に違反するものではない。

一、社会保障制度における児童扶養手当法の性格と位置

1 我が国の社会保障制度について

いわゆる社会保障制度とは、社会保障制度審議会が昭和二五年一〇月に行つた「社会保障制度に関する勧告」によれば、「疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対し、保険的方法又は直接公の負担において経済保障の途を講じ、生活困窮に陥つた者に対しては、国家扶助によつて最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、もつてすべての国民が文化的社会の成員たるに値する生活を営むことができるようにすることをいう。」のであり、同勧告は、このような考え方に基づき、社会保険、国家扶助、公衆衛生及び医療、社会福祉の四部門からなる社会保障制度の体系を示している。そして、今日でも、社会保障制度審議会の示したこの考え方が、社会保障制度に関する最も一般的な考え方ということができる。

2 経済保障(社会保険)と生活保障(国家扶助)

社会保障の実施のための具体的方法としては、①疾病、負傷、分娩、廃疾、死亡、老齢、失業、多子その他困窮の原因に対する保険的方法又は直接公の負担による経済保障②生活困窮に陥つた者に対する国家扶助による最低限度の生活保障という二つの類型が考えられるわけであるが、通常、前者は社会保険(及び直接公の負担に基づく財源の補充)制度による社会保障といわれ、後者は国家扶助制度による社会保障といわれている。

各制度の目的及び性格並びに両制度の関係は、次のとおりである。

(一) 国家扶助制度は、現在、生活保護法による生活保護制度として実施されている。その目的は、同法一条の定めるように、憲法二五条に規定する理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障することにある。生活に困窮し、憲法二五条一項の保障する健康で文化的な最低限度の生活を営むことができない状態にある者は、その窮乏に陥つた原因のいかんを問わず、生活保護法によつて最低限度の生活を保障される仕組みとなつており、この制度によつて、国はすべての国民に対し健康で文化的な最低限度の生活を最終的に担保しているのである。

この意味において、国家扶助制度は、現に窮乏の状態にある者に対し、その現在の生活需要に着目して最低生活の保障を行おうとするものであつて、保障の実施は、窮乏の程度に応じて個別的、具体的になされる点に特色があり、具体的には、あらかじめ国が最低生活の基準を定めておき、所得がその水準に達しない者に対してその不足分を金銭又は現物の給付によつて補うという建前が採られている。したがつて、その保障を行うに際しては、現に窮乏の状態にあるか否か、すなわち、自力では健康で文化的な最低限度の生活を営み得ないか否か、営み得ないとすれば最低生活水準に達するためにはどの程度の給付を必要とするか等に関する行政庁の認定を必要とし、その認定を行うため資産調査及び収入調査等の手段が講ぜられる点に、この制度の本質的な特徴が見いだされる。

(二) 社会保障制度は、国家扶助が最低生活の保障という絶対的な生活水準を確保するための制度であるのとは異なり、通常その生活を脅かす老齢、廃疾、死亡その他経済上の負担を招来する事故に対し、右事故から生ずる生活上、経済上の脅威という危険を国家的な保険技術又は社会連帯の思想に基づく直接の公費負担を通じて大量的に分散することによつて、その救済を図ることを目的とする制度である。前述の国家扶助がいわば事後的、具体的な救貧施策的性格を有するのに対し、社会保険制度は事前的、一般的な防貧施策的性格を有するものということができる。

(三) 社会保険制度と国家扶助制度との基本的差異は、国家扶助の場合には、一定の絶対的な生活水準を確保するという制度本来の目的からして、扶助にあつては、それが個々的な生活需要の程度に対応してなされることの特質上、扶助の受給資格及び給付の程度が一定の基準に照らして個別的、具体的に認定することによつて初めて定まるのに対し、社会保険にあつては、受給資格及び給付内容は、保険事故の種別に応じて一般的に定型化され、保険事故により被保険者に生ずる生活需要の有無及びその具体的な程度いかんにかかわりなく、いわば平均的需要に着目して画一的な給付が行われる仕組みとなつており、個々の事案について行政庁の判断の介入する余地が極めて限られているということである。

給付に要する費用は、国家扶助の場合には必ず一般財源に依存しているのに対し、社会保険にあつては、拠出制、国庫負担制及び両者の併用等等、政策的にはさまざまな選択が可能であつて、被保険者及び事業主からの保険料等の形式による拠出金のみに依存する方式も考えられれば、国庫が保険料の一部または全部を負担する方式も考えられる。社会保険の財源の求め方については、専ら国情に応じた政策的判断に任せられている。我が国の社会保険制度は、拠出制に給付財源の一部国庫負担制を加味したものが多い。

3 公的年金制度としての国民年金制度及びこれを補完する児童扶養手当制度

(一) 国民年金制度

公的年金制度は、老齢、障害、死亡など国民が個々人では事前に十分な備えをしておくことが困難な事故によつて生活の安定が損なわれるのを、社会連帯の考え方に立つて公的に救済し、国民生活の安定を図ろうとする制度である。

現在、我が国の公的年金制度は、国民年金、厚生年金の二大制度のほか、船員保険、国家公務員共済組合、地方公務員等共済組合、公共企業体職員等共済組合、私立学校教職員共済組合、農林漁業団体職員共済組合の八制度に分かれている。

国民年金法は、国民皆年金の理念に基づき、これまでの被用者を対象としていた公的年金制度による保護の及ばなかつた農漁業者、自営商工業者、自由業者等を適用対象として制定されたものである。

我が国の年金制度は、これまで、一部国庫負担を加味した拠出制による社会保険方式を原則としていたので、国民年金制度もこれに倣い、拠出対給付という対応関係を基本とし、老齢、障害、死亡などの保険事故に際して被保険者又はその遺族に保険給付を行い、その所得能力の喪失又は減少に対し必要なてん補を行おうとするものである。しかしながら、拠出制一本で貫くと、制度実施の時点において既に老齢、障害又は母子の状態にある者及び将来保険事故が生じても保険料納付期間が所定の期間に達しないため拠出制の受給権に結び付かない者に対しては、国民年金制度の保障する利益を及ぼすことができず、国民皆年金の理想が全うされない結果となる。そこで、国民年金制度においては、拠出制の欠陥を補うための経過的、補完的な制度として、無拠出の年金制度たる福祉年金制度を設けている。

(二) 児童扶養手当制度

国民年金制度の発足によ、死別母子世帯については、国民年金法による母子年金若しくは母子福祉年金又は年金関係各法による同様の給付を受け得るようになつたのであるが、夫と離婚し又は内縁関係を解消した場合のように夫と生別した場合には、給付の対象とならない。

しかし、生別母子世帯の経済的実態は、死別母子世帯と変りがない。この点から、国の何らかの積極的施策が必要とされ、生別母子世帯について、母子福祉年金に準ずる無拠出の所得保障を行うこととされた。これが児童扶養手当制度である。

したがつて、児童扶養手当制度は、国民年金制度を補完するものであり、経済保障すなわち防貧的な所得保障施策の一環として位置づけられる。

4 身体障害者、母子に対する社会保障施策について

社会保障の施策には各種のものがある。身体障害者あるいは母子のように何らかの援護を必要とする者のための施策として、身体障害者福祉法等に基づく施策、雇用安定制度、税制上の優遇措置、母子福祉法等に基づく福祉措置などの社会福祉施策、疾病傷害に対する医療保険制度による医療給付、稼得能力の低下に対する年金制度等による防貧的な所得保障の施策等がそれであるが、これら施策等によつてもなお生活困窮に陥つた者に対しては、救貧的な生活保護の制度があり、これによつて、最低限度の生活が保障されている。而もこれらの諸施策は互いに有機的に補足し合つて制度全体を効果的なものとする仕組みになつている。児童扶養手当法の位置づけあるいは公的年金受給者には児童扶養手当を支給しないものとする規定の合理性についても、このような仕組みの中で検討する必要がある。原判決はこの点の考慮を欠くものである。

すなわち、障害福祉年金受給者には児童扶養手当を支給しないことの合理性であるが、障害福祉年金及び児童扶養手当は、身体障害者あるいは母子に対する極めて多岐にわたる社会保障諸施策及び関連諸制度のうち、これらの者の稼得能力の低下に対応する防貧的な所得保障施策という限局された一部門を構成するものにすぎない。このような一局面のみを微視的に取り上げて単純に対比し、夫と生別し児童を養育する母と、これに更に身体障害という状態が加わつている者とに対する国の処遇が平等原則に合致しているか否かをあげつらうことは、大きな誤りである。

身体障害者あるいは母子に対しては、防貧的な所得保障の施策のほかに、各種の社会福祉の措置及び医療の給付等がなされており、これら国民の健康で文化的な生活の維持、向上が図られている。そして、これらの施策にかかわらず、なお生活困窮に陥つた者に対してな、最終的には救貧的な生活保障の制度が設けられており、これによつてすべての国民の最低限度の生活が保障される構造となつている。

したがつて、障害福祉年金受給者には児童扶養手当を支給しないからといつて、決して身体障害者あるいは母子の生活が顧みられず、放置されるということになるわけではない。殊に憲法二五条一項にいう健康で文化的な最低限度の生活は、すべての国民に絶対的に保障されているのである。

このように、国の社会保障施策の全体系を考慮に入れて総合的に考察するならば前記のいずれの者に対する処遇、保護がより厚いかを論ずることは、到底不可能である。

このように見てくると、被控訴人の本訴請求は、そもそもその出発点において失当であり、社会保障施策の全体的考察を全く怠つているという点において既に棄却を免れないものといわざるを得ない。

二、児童扶養手当法の趣旨

1 国民年金制度―特に母子福祉年金、障害福祉年金―の趣旨〈略〉

2 児童扶養手当法の内容

(一) 受給権者は父母が婚姻を解消した児童、父が死亡した児童、父が一定の廃疾の状態にある児童、父の生死が明らかでない児童、その他右に準ずる状態にある児童を監護する母又は母以外の養育者(児童と同居して、これを監護し、かつその生計を維持している者)である。

(二) 児童扶養手当法の公的年金給付との調整に関する規定のうち、本件において問題となつている改正前の四条三項三号の規定は、国民年金法二〇条六五条一項一号に対応するものである。母子世帯において児童扶養手当支給の対象たる児童を監護すべき母が公的年金給付を受けることができる場合というのは、母子福祉年金において受給権者たる母が他の国民年金給付または公的年金給付を受けることができる場合と事情は異ならないから、この場合と同一視してしかるべきものである。

(三) 手当額は母子福祉年金の額に準じて定められている。昭和四五年一〇月分からは、すべての場合を通じて全く同一の金額となつている。

(四) 児童扶養手当は財源の面でも母子福祉年金との均衡を考え、全額国庫負担の制度となつている。

(別紙(二)) 被控訴人の主張〈略〉

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